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学校教育の構造的問題!?(その参) [社会]

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 指導をしない授業が生徒を苦しめる

 しかし、このように気楽で呑気に過ごせる学校生活の中で、最も子供達を苦しめるのが、勉強です。学校の成績がそれぞれの人生に重要な意味があることに、すべての生徒が気付いているからです。

 良い生活をするにも、プライドを保つためにも、高い学力を身に付ける必要があることを、すべての生徒が知っています。そのため、良い学力を身に付けたい、良い成績を取りたいと、だれもが強く願っているのです。

 ところが、学習する場の学校に、学力を手に入れる教育システムが用意されていません。学校の授業を受け、教師の指示に従って学習しても、基礎基本も身に付かないのです。

 教員は、生徒に学力を身に付けさせるために、学習内容や練習時間を考えて指導しているのではありません。決められた短い授業時間の中で、簡単に教科書を説明し練習させているだけです。学習するように指示し課題を出しても、ノートやプリントを見ることもしません。教科書を終えることだけを考えているのが、本音です。

 熱心な教員の場合でも、教科書を手際よく説明し、子供が自主的に勉強して良い点を取ることを期待しているだけです。子供達の学習能力にあった授業作りをして、一人一人に学力を保障しようとしている教員はいません。教科書内容を、少ない授業時間の中で効率的に説明することだけで目一杯になっています。

 例えば、初めて学習する英語の筆記や発音の訓練には、小学校一年生がひらがなを学習する以上に、多くの練習時間が必要です。全く異なる言語ですから、十分な訓練時間を取らなければ身に付きません。

 ところが、発音も筆記も、十分な指導をせず練習もさせず、生徒の習熟を確認することも無く授業が進められています。発音や聞き取りのCDを生徒に与え家庭学習をさせるような指導もせず、筆記の練習をさせてチェックすることも行っていません。そのため、発音が身につかずアルファベットも書けないままに、多くの生徒が取り残されます。

 教員には、懇切な指導を行うための時間も機材も用意されていません。更に四十人もの生徒がいれば、理解の有無や習熟に構わず授業を進めざるを得ません。初めから、英語力が身に付くカリキュラムも指導体制も用意されていないのです。

 そのため、現在の学校教育では、生徒が十分に準備し復習し練習しなければ、必要な学力を身に付けられません。家庭での学習習慣が身に付いていない者や基礎学力が不十分な者は、最初から落ちこぼれ、最低の学力を身に付けることもできません。待っていれば教員が教えてくれると思ったり、そのうち分かるだろうと安易に構えていたりする子供は、ただ取り残されれ、取り返しがつかないまでに落ちこぼれることになります。
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