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学校教育の構造的問題!?(その弐) [社会]

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 のんびりムードと一方的に進行する授業

 中学校に入学した子供達の学習態度には、新しい困難に立ち向かおうとする若者らしい健気な態度がはっきりと見えます。真新しい制服に身を包み、教師に対して一言も聞き逃すまいとする態度には、「親族の期待を背負って入学した明治の学生もこのようであったろう」と、その凛々しさに感動すら覚えます。

 小学校で成績が悪かった生徒も、一生懸命に勉強し良い高校に進学して、親を喜ばせたいと思っています。部活動で活躍してプロの選手になりたいと夢見る者もいます。子供達は、いつの時代も素直で、懸命です。ダメな子供など一人もいません。

 しかし、立派な卒業式や入学式で鼓舞され、勇んで入学した子供達の思いは、早々に、肩透かしを食らうことになります。

 現在の中学校生活は、子供達の意気込みを必要としません。体育、音楽、美術、技術家庭、道徳、学級活動、選択教科、総合的な学習時間など、多くの授業が時間潰しのレクリエーションでもあるかのようにのんびりと行われています。

 高校進学のために意気込む筈の主要教科の授業でも、学習に集中する子供達の姿は見られません。多くの子供が、授業に参加しているだけの状態になっています。しっかり学習しようと身構えても、多くの生徒が、最初から授業について行けないのです。

 教員は、新しい知識を次々と早口で説明し、板書し、練習させてゆきます。しかし、その内容もスピードも、子供の習得能力を超えています。説明が理解できず技能が身に付かなくても、必要な助言や練習問題を与えることはありません。生徒の理解も習熟も考慮することなく、淡々と授業が進められています。

 現在の学校教員の職務は、生徒が良く学習し、良い学力を身に付けるようにすることではありません。教科書を終えることだけが仕事になっているのです。生徒が眠っていても教室の後ろでゲームをしていても、授業が進められています。ベランダでタバコを吸っている生徒を指導せず、授業を進めた教員もいます。

 宿題もほとんど出しませんし、しなくても居残りになって学習させられることもありません。学力が低いからと補習をさせることもありません。厳しい勉強を要求されることもなく、怠けていると叱られることもありません。

 学力が身に付く指導を行わず、学習を要求せず、勉強をするもしないも勝手なのが、現在の学校です。いじめを行わないよう指導されますが、それ以外はほとんど自由です。

 登校しない方が問題を起こさないと、不登校生徒を呼び戻そうとしない生徒指導主事もいました。授業中に校庭を散歩する生徒を、厳しい指導をするなと命令し放っておいた校長もいます。授業をサボってタバコを吸う生徒のために、トイレに灰ガラを入れるバケツを用意した学校もあります。

 学校に来るように催促されますが、学校に行かなくても問題はありません。全く出席しなくても進級し、三年間ほとんど登校しなかった生徒にも卒業証書が与えられます。さらには、ずべての成績が最低でも、高校進学が出来る現実もあります。

 現在の中学校教育は、盛大な入学式や卒業式を行う価値がありません。高価な制服を買うだけの値打ちもありません。参加すればよい地域行事のようなものですから、Tシャツとジーパンで十分なのです。
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