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学校教育の構造的問題!?(その伍) [社会]

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 生徒も教師も爆発寸前

 そして、必要最低限の学習指導も行わず教育をしなくなった教育システムが、子供達の生活を破壊します。間延びした授業や付いて行けない授業が、夢も希望も打ち砕き、数ヶ月も経たずに諦めに変え、心を蝕んでいきます。

 多くの子供達の中学校生活が、三年間、教室の片隅で耐えしのぶだけになっています。教えてくれる者も無く、練習の時間も与えられず、劣等感に苛まれながら苦しい時間を過ごさなければなりません。能力不足を恥じ、小学校で学習をサボったことを後悔し、塾に行けない家庭状況等を考えて、無念な気持ち押し殺して耐えようとします。

 屈辱感に耐えられない生徒は、学習を放棄し、教師の指導を無視したり妨害したりするようにもなります。教員の指導に講義する場を持たない子供達は、不満を態度で表現することしか出来ません。授業をサボって出歩いたり、喧嘩をしたり、いじめをしたりと、様々な問題を起こします。それは、理不尽な学校と社会への自然な怒りの発露です。

 このような子供達の気持ちを、教師が理解できないのではありません。生徒の気持ちを分っていても、それを受け止めることができないのです。法律順守を命じられた教師は、子供の不満を無視して授業を進めなければなりません。生徒の授業妨害に耐え、教えたという事実を作るためにだけに、淡々と授業を行い、説明をし続けます。何もしてやれないため、生徒の苦しみに目を背けるのです。

 しかし、この出鱈目な教育体制は、教師にも大きなストレスになっています。学習拒否や学級崩壊を防ぎながら、綱渡りのような授業をしなければならないからです。

 生徒にかける言葉を一つ間違えれば、授業拒否や学級崩壊を作り出しかねません。指導を甘くすれば、授業崩壊を招きます。ベテラン教員といえども、一歩間違えば、指導力不足教員に転落する危険があります。中学校教員は、大きなストレスと戦いながら毎日を過ごしているのです。

 そしてそれが、「あいつは内申書で落とす」「あれの推薦書は出さない」など、教員による生徒への報復等が生まれる原因です。出鱈目な教育システムが、学校に強い緊張状態を作りだし、それが、生徒と教師の問題行動を作りだすのです。

 更に無惨と言えるのは、非行行為をしたり犯罪事件を起こしたりした生徒を、社会が厳しく罰する状況があることです。子供達の生活が荒れるのは、誤った教育システムが、子供達を虐待し、追い詰めたからです。デタラメな教育が、生徒の健全な向上心や良い人間になろうとする素直な姿勢を失わせた結果です。

 行うべき教育を行わなかった社会に責任があり、子供達に罪はありません。にもかかわらず、大きな罰が与えられ、人生の可能性の多くを失います。破綻した教育システムが、「むごい」とも言える学校現場を生み出しているのです。
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 非行や犯罪に走る生徒が、学校教育の欠陥による犠牲者なのかどうかは意見が分かれるかも知れません。

 人生は、学校の勉強だけが全てではありません。

 学校教育に構造的な問題が潜んでいるのが事実だとしても、生徒の素行不良の原因を学校や教師のせいにするのは如何なものかと言わざるを得ません。

 問題なのは、学校の成績(試験の点数)が人間の価値を決めるなんて考え方は馬鹿げているということを理解できない阿呆が多すぎるということかも知れません。

 「学問のあるバカは、学問のないバカよりもバカである」

 なまじ学校の勉強ができる試験秀才が、その優秀な頭を間違った方向に使うと、皆が迷惑をするのは、いま現在の日本の政治家や役人、大企業のエリートをみれば明白ではないかと思います。

 日本を不幸にしている原発ムラの住人は、おおむね学業優秀な自称エリート集団ではないかと私は思います。

(by 心如)

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コメント 4

shira

 仮に理想的なカリキュラムに則って理想的な教員集団が学習指導を行ったとしても、やはり学業成績には差が出ます。生まれつき理解の早い人間はいます(これが「学問のあるバカ」予備軍)。学力の伸びない子はどうしても荒れやすくなります。
 だから学校は学力がすべてではない空間を作ろうとします。それが運動会や音楽会に代表される特別活動であり、またクラス内学年内での様々な活動です。勉強がパッとしない子にも活躍の場を与えないと、そういう子どもが荒れて学校の秩序が壊れてしまいます。学校にとって、勉強のできない生徒のケアは死活問題なんです。
 でも、そういう学校の意向に社会も保護者も割と無関心です。特に学力低下批判ブームの昨今は特別活動に使う時間も減らされ気味です。こういう状況だと荒れる生徒は昔のように(青少年犯罪が一番多かったのは昭和30年代)増えるかも知れません。

by shira (2012-06-17 22:47) 

心如

shiraさん、コメントを頂きありがとうございます
 生徒一人一人を絶対評価するのか、クラスで何番、学年で何番という形で相対評価するのかという考え方の違いはあると思います。
 「鶏口となりても、牛後となるなかれ」という言葉があります。所詮、人は自分が所属するグループ内での相対評価が気になる生き物であって、自分の価値を絶対的に評価できる人は少ないのも事実のようです。
 しかし、人の不幸は、自分と他人を比べるところから始まる場合が多いのも事実です。自分を在りのままに見つめ、在るがままに生きることが出来れば、どんな境遇に在ってもそれなりに幸せに生きることが出来ます。それが悟りであり、解脱の本質なのですが…
by 心如 (2012-06-18 04:26) 

taro-u

教育について何もわからない自分ですが
概念や精神面の教育以外で
生徒たちが必要で喜んで学ぼうとすることを
教えられればいいですね
現在の公教育だけでなく 人間がいきていく
基本を教えられれば 子供たちは自ら学んでいけるのではないでしょうか
受験オンリーの社会を変えられるのも教育なのでは
学校だけが教育の場ではないのですから
by taro-u (2012-06-29 09:56) 

心如

taro-uさん、コメントを頂きありがとうございます
 子供達に生きる自信と意欲を与えることがどうすればできるのか。いくら学習をさせても、劣等感と無力感しか与えないとしたら、それは教育ではなくて児童虐待ではないかと言わざるを得ないのですが…
by 心如 (2012-06-29 10:05) 

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